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伝統臼井霊気

伝統臼井霊気(レイキ)の発祥は神代の時代まで遡るようです。 分かる範囲で言えば大国主神と少彦名神が人民の病苦を救う為に創製されたと伝えられているようですが、もっと古くからかも知れません。  今となっては知る由もありませんが、その復活を試みたのが臼井身甕男(うずい みかお 1965〜1926)先生が、難行苦行の末、手にいれた広めた臼井霊気(レイキ)ではないかと思われます。 現在ではハワヨ・タカタ女史(1900〜19B0)の後継者により世界各地に広まったREIKIを逆輸入の形で日本に戻って来たのをきっかけに再び日本でもたくさんの方に広まった訳です。   現在、日本では日本式レイキ(和式レイキ)とか逆輸入の海外レイキなどと言われて、2つのレイキが存在したような形になっていますが、海外の先生でも研究熱心な方が日本式レイキを取り入れていますので、今では内容まで踏み込んでいかないと区別がつかなくなっています。このような状態では初めてレイキを受講される方が迷うのが当たり前だと思います。霊気(レイキ)を伝授セミナーを受講される前には納得のいくまで質問されるのがよいでしょう。 霊気(レイキ)とはどんなものなのかは、レイキのページに譲ります。


伝統臼井霊気の超簡単な歴史

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霊気(REIKI)と呼ばれるレイキヒーリング(ハンドヒーリング)テクニックは、臼井甕男(うすい みかお)先生が大正11年3月、悟りを求めて京都の鞍馬山にて21日間の瞑想と断食中、強烈な宇宙霊気が身体を貫き「宇宙即我」の悟りを得られ、そして同時に霊気による治療能力を体得し、霊気による癒しを「霊気療法」と名付けられました。

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臼井霊気の発祥

霊気は、臼井甕男先生は(慶応元年1865〜1926)現在の岐阜県美山町い生誕し、職業も公務員・会社員・新聞記者・布教師・実業家などと転々としたそうです。その人生経験のなかで「人生とは?」という疑問にぶち当たり、禅門に入り修業すること三ヵ年余り、一向に答えが見つからず。悩んだ挙句、師に尋ねましたところ、師曰く「一度死んでごらん」とのことでした。(これは仏教に「臨終を習いて他事を習うべし」と言うのがあり、これを引用してのお言葉だと思います。) それで、「我が人生も、もはやこれまで」という覚悟を決め、京都の鞍馬山に21日間の断食修行を決行しました。鞍馬山の山中に籠り、断食修行の満願日である21日目の大正11年4月の真夜中頃、強烈な衝撃を受けて意識不明に陥り、気が付いたのは空が明け始めた頃であった。その目覚めは今までにない、じつに心身爽快な気分であったそうです。これが求追してきたものとすぐ確信して山を降りました。その途中で石に躓いて足の指を怪我しました。咄嗟に傷に手を当てたところ、たちまち出血や痛みが不思議と消去り、改めて感得したのでした。京の町に戻った後、病苦の人々の治療にあたり、その後、東京に出て「臼井霊気療法学会」を設立しました。そして、霊氣療法の公開伝授始められました。先生の意思が通じ、現在の我々にも脈々と伝わってきているのです。

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伝統臼井霊気とは

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伝統臼井霊気は、臼井甕男先生は(慶応元年1865〜1926)現在の岐阜県美山町い生誕し、職業も公務員・会社員・新聞記者・布教師・実業家などと転々としたそうです。その人生経験のなかで「人生とは?」という疑問にぶち当たり、禅門に入り修業すること三ヵ年余り、一向に答えが見つからず。悩んだ挙句、師に尋ねましたところ、師曰く「一度死んでごらん」とのことでした。(これは仏教に「臨終を習いて他事を習うべし」と言うのがあり、これを引用してのお言葉だと思います。) それで、「我が人生も、もはやこれまで」という覚悟を決め、京都の鞍馬山に21日間の断食修行を決行しました。鞍馬山の山中に籠り、断食修行の満願日である21日目の大正11年4月の真夜中頃、強烈な衝撃を受けて意識不明に陥り、気が付いたのは空が明け始めた頃であった。その目覚めは今までにない、じつに心身爽快な気分であったそうです。これが求追してきたものとすぐ確信して山を降りました。その途中で石に躓いて足の指を怪我しました。咄嗟に傷に手を当てたところ、たちまち出血や痛みが不思議と消去り、改めて感得したのでした。京の町に戻った後、病苦の人々の治療にあたり、その後、東京に出て「臼井霊気療法学会」を設立しました。そして、霊氣療法の公開伝授始められました。先生の意思が通じ、現在の我々にも脈々と伝わってきているのです。

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